《起承転結の転》


 さてさて、話をP氏に戻しましょう。P氏は1ヶ月半くらいで目を覚ましたそうです。声が出ないのでボードで会話したり、食事を自分で食べると主張したりしていました。
 でも、実はまだ意識はなかったんですねぇ。話しによると、この頃からしっかりしてきだしたらしいのだけれど、本人は全く覚えていません。この頃は夢と現実が交差していて、P氏には夢なのか、現実なのかはっきり解らないのです。
 例えば、最初の病院なのに、2軒目だと思いこんでいたり、病室が5階でリハビリ室が2階だとずっと思っていました。本当は病室が2階でリハビリ室が1回でした・・・

 今となってはほとんど記憶にない1件めの病院なのですが、それは本当はP氏にとっては本当に幸せなことでした。
 2軒目の病院では声が出るようになり、リハビリも順調に進み、頭もしっかりしてきたP氏ですが(もちろんP氏が言う事で、本当にしっかりしているのかは別です^^;;;)、それと同時に時間が止まってしまいました。
 どういうことかというと、記憶がないころは1日が過ぎて行くのも早かっただろうしし、自分のことしか考えていませんでした。いや、自分のことさえも考えられないですよねぇ。いったいぜんたいどうやって生きていたかさえ記憶にないのだから。植物人間が動いてるようなものです。

 ところが身体が良くなって来て、精神が安定してくると、暇をもてあましてきました。時間も遅く感じます。暇になってくると色んな事を考えてしまいます。

 何を考えるかと言うと、初心者マークの身体障害者のP氏としては当然これからのこと。です。でもいっぱい考えても初心者のP氏には想像もつきません。結論など出るわけがないのです。考えても考えても答えは出ません。答えが出ないからP氏は不安で不安でたまりません。しまいには考えることが嫌になり、考えること自体を放棄しました。放棄しても不安感は残ったままです。
 つまり不安感の中で時間が遅い訳です。これは結構辛かったらしい。家族に相談しても、家族にしても身体障害者を受け入れるのは初めての事だし、理解をしろと言うのが無茶な話しだよねぇ。
 だから、P氏は脳の血管が2〜3本切れないかなぁ、とばっかり考えていました。つまり、この世から消えてしまえば考える必要もないし、入院もしなくて言い訳です。単純な、言わばバカみたいな考えだけど、P氏は本気だったようです・・・

 家族にしても青天の霹靂ですよね。2度の最後のお別れを済ませ、やっと元気になったと思ったP氏が「頭の血管が切れたらいいなぁ」とか言い出すのだから・・・。
まったくなんのために今まで頑張ってきたやら・・・子供の大きくなった姿を見たくないの?私もあなたの両親もご飯が食べられないで痩せたのよ。
次から次にP氏への不満が口から出てきます。そりゃそうだよねぇ。

 P氏はどうかというと、全く反省の色もないようです。やはり不安感の中での入院はやはり辛いようで、「お前らに俺の気持ちが解ってたまるか!」とうそぶいていたようです。挙句の果てに退院させろ!などと我儘を追加したようですな・・・(^^;;;。

 P氏の味方をするわけじゃないけど、心配性の家族は口と手の出し過ぎに見えます。よく見てると、P氏が大変そうな時に手を出して、「あなたは1人ではなにもできないのよ」と口を出しているように見えます。「一人で何も出来ないんだから、退院は無理よ」
P氏にしてみると、出来るのか出来ないのかを見極めたいのに、先に手を出され、見極められないばかりか、人間失格の烙印まで押された気分です。
P氏は失敗して例え骨折してもくいはないつもりだけど、奥さんにしてみればここで怪我をされてはもったいないと思うのかどうかはわかりませんが、P氏の無茶を嫌っているようです・・・。


 ってなことで、今月は終わりです。ここまでは入院中に書いていたことです。「結」は、退院後に書くと言うことになりますね。まだ全然書いてないから、本当に9月に間に合うやら、どうやら・・・(^^;。
 しかし長期入院は辛かったです。『可愛らしい看護婦さんもいるし、ゆっくりできるでしょう?』などと言う人もいました。確かに可愛らしい看護婦さんもいるし、ゆっくりできるんだけど、やっぱり辛かったですね。入院の最後の方は夜が眠れなくなってきていましたからね・・・。たぶん精神的な影響も大きいと思うんだけど・・・。
 その辛さが、この『承』には出てますね。読んでても恨み節が聞こえてくるようです(^^;;;。辛かったんだろうねぇ、きっと・・・。いや、ほんと。ま、面白くないけど、最後まで読んでくれてオオキニ(^^;。また来月ね。



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